「神からのパン」 5.13  出エジ16:1〜16、マタイ6:11

 
神さまが自分たちのためにエジプトの軍隊と戦い、海を二つに分かれさせて道を開いてくださった。
イスラエルの人たちは、目を見張るような神さまの大きな働きかけを見、神さまを讃美しました。
 ところが、しばらくすると人々の心は、神さまへの不平と不満に覆われます。信仰の危機に陥っていきました。  
そんなイスラエルに、神さまはマナと呼ばれる食べ物とウズラを用意し、毎日の養いを与え続けて
くださったのです。それによって、人々は今日も神さまが共にいてくださることを知らされ、荒野の旅を続ける力を
えられました。  海が分かれるという大きな出来事に続けて、毎日の糧が与えられる出来事が書かれているのは、
意味深いことです。 どちらも神さまの働きです。

 ところが、私たちは目を奪われるような大きな奇跡の出来事にしか神さまの働きを見ようとしません。
毎日の必要が与えられるという日常の奇跡を軽んじ、当然のように考えがちです。日常の奇跡を見れなくなるときに、
イスラエルも私たちも信仰の危機に襲われます。 マナが次の日まで残らないのは、今日、自分を養って下さる
神さまを知るためです。

 主の祈りでも毎日の糧を与えてくださっている神さまを思い起こします。  
私たちの毎日の生活は、神さまの奇跡に囲まれています。
朝ごとに命を与えられたことを当然としたり、食事を手にすることを当然と考えますが、神さまの働きかけ
なしにはありえないことです。神さまに今日を与えられなければ、だれも朝を迎えることなど出来ません
(ルカ12章)。天地創造の際に神さまは人に必要な物を創り備えてくださいました。それが備えられなければ、
生きられはしません。  神さまが今日も働きかけてくださっている。日常の奇跡は数え上げればきりがありません。
 それを見る目を持つものは、荒野のようなところを進まなければならないとしても、感謝と喜びと平安をもって歩んでいきます。